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9月, 2026の投稿を表示しています
心に波風が立つのが本当に嫌。 台風一過のように穏やかに晴れた心でありたい。 人との関係もそう。 穏やかな心を保てない人とは距離を置きたい。
オーディオもカメラも、アナログからデジタルになって大切なものが失われた。 それは儀式だ。 儀式こそが趣味性だった。
私にはピアノは弾けないなぁ。  指が弱すぎて鍵盤に負けてしまうよ。 おそらくピアノを弾くには致命的なぐらいに指が弱い。 クラヴサンを弾くにはそのほうがいいので指を鍛えることは今後もしないのだけど。
nisshi2.com を使ってる人の何人かはかつてあったNisshiというところに書いてた人たちだと思う。  Nisshiがなくなる時に代わりとなる場所をみんなで探して散って行ってしまった人たちの何人かはここに戻ってきているのかも。  ShortNoteがNisshi難民を受け入れてくれたけど、そのShortNoteもnoteに移管されて今は消滅してしまったし。  静かに言葉を綴りたい人の居場所は案外少ない。 Je pense que parmi les utilisateurs de nisshi2.com, certains écrivaient autrefois sur un espace qui s'appelait Nisshi. À sa disparition, chacun était parti chercher un nouvel endroit et la communauté s'était dispersée, mais peut-être que quelques-uns ont fini par revenir ici. ShortNote avait bien accueilli les « réfugiés » de Nisshi à l'époque, mais après avoir été transféré vers note, il a lui aussi disparu. Les havres où l'on peut poser ses mots dans le calme sont étonnamment rares.  
「都内でチェンバロ常設練習室でチェンバロの試し弾きをやりましょう!」 なんて企画をしたら参加してみたい人もいるのかな。 予めチェンバロで弾いてみたい曲を少しさらった上での参加。 ガッツリ指導はできないけど手解き程度ならできるかも。
ゆっくりと夏が終わって行く。 あと幾度、私には夏が巡ってくるのだろう。   未来を消費して今を生きる。 最期に残るのは過去だけ。
私は Threads で議論をするために投稿しているのではなく単なるぼやきなのだよ。 単なるぼやきなので詳細な説明や前提条件の列挙などするはずもない。 しかし何故か議論を吹っ掛けて来る人がいたりする。 仕方がないから後付けで詳細な説明や前提条件を書くことになる。 でもその時点ではもう話が噛み合わない状態になっていてお互い譲らない。 挙句の果に、最初から詳細な説明や前提条件を書かないほうが悪いだとか、後出しジャンケンは卑怯だとか言われる。 Threads では顕著にそれが起こる。 どうすればよいのか。 もういっそのこと何も投稿しないほうがよいのだろうか。
決まった期日までに曲を仕上げる必要もないので弾きたい時に弾きたい曲を弾けばよい。 弾けても弾けなくても楽しめれば満足。
私がSNSに投稿したダングルベールのプレリュード・ノン・ムジュレに興味を持ち、ピアノで練習を始めた女性がいる。 その人に写本の楽譜の読み方がわからないと言われたので簡単に説明をした。  これからも色々なクラヴサンの曲を紹介して欲しいようだ。  そんな人が現れるなんて夢にも思わなかった。 とても嬉しい展開だ。   Une femme s’est intéressée au prélude non mesuré de D’Anglebert que j’avais partagé sur les réseaux sociaux, et elle a commencé à le travailler au piano. Elle m’a confié qu’elle ne savait pas comment déchiffrer le fac-similé du manuscrit , alors je lui ai donné quelques explications simples. Elle a l’air de souhaiter que je continue à lui faire découvrir d’autres pièces de clavecin à l'avenir. Jamais je n’aurais imaginé qu’une telle personne croise mon chemin. C’est une bien heureuse tournure des événements.  
 2007年9月から Google のブログサービス http://Blogger.com を利用している。 まだ SNS が普及する前の時代、その頃はみんなブログに記事を投稿し、お気に入りのブログを検索してコメントする形で交流していた。 私もご多聞に漏れずブログを開設し、気ままに記事を書いていた。 誰に読まれるでもなく、その時の記録として途中長らく放置することがあっても削除せず現在まで残っている。 Blogger は目新しい機能追加をすることもなく、よく言えば洗練されたサービス。 今の時代で言えば原始的で保守的で新鮮味のない最小限の機能を提供する昔ながらのブログの形態を残したサービス。 最早どこにもないぐらいの絶滅危惧種でもある。 ただし Google が提供するものなので全機能が無料で使える上に広告が一切ない。 Google アカウントひとつで最大100個のブログを立ち上げることができる。 今現在は非公開のものを含め5つのブログを話題毎に使い分けている。 これは本当にとても有難い。 他人と交流するのが苦手な私は SNS よりはブログのほうが向いているのだろう。 SNS はどこを使っても大抵は人間関係で面倒なことになり、アカウントを削除するか放置して別の SNS を使ったりしてきた。 今使っている SNS やこれから使うであろう SNS がどのぐらい続くのかわからないが、どうであれ記録を残す原点である Blogger にはこれからも書き続けると思う。
Substack でとても嬉しい出会いがあった。 何と、私が投稿したダングルベールのプレリュード・ノン・ムジュレの演奏と楽譜に興味を持ち、実際にピアノで弾いてみたいとコメントしてきた人がいたのだ! 正にこのような出会いを私は期待していたし望んでいた。 Sur Substack, j'ai fait une merveilleuse rencontre. Figurez-vous que quelqu'un s'est intéressé à mon interprétation et à la partition du prélude non mesuré de D'Anglebert que j'avais publiées, et a même laissé un commentaire pour dire qu'il aimerait essayer de le jouer au piano ! C'est exactement ce genre de rencontre que j'espérais et que j'appelais de mes vœux.
« Je peux t’apprendre toute la technique que tu veux. Mais la sensibilité, c’est inné ; ça ne s’enseigne pas. » C’est ce que me disait mon prof pendant un cours de clavecin, alors qu'on travaillait un prélude non mesuré de Louis Couperin. Une pièce sans chiffrage ni barres de mesure, notée simplement avec des rondes et des traits courbes semblables à des liaisons. Impossible de la jouer « à la lettre » : la logique s'efface et c'est la sensibilité même de l'interprète qui se retrouve à nu. Et là, c'est le domaine propre à chacun ; on n'y peut rien. C’était une façon détournée de me lâcher : « Tu n’as pas de sensibilité. » Aujourd’hui, alors que je joue un prélude non mesuré de D’Anglebert, ses mots me reviennent à l'esprit. L’essentiel n’est pas écrit sur la partition.
昨日はダングルベールのト長調のプレリュードを、今日はニ短調のプレリュードを、それぞれ当時の出版譜で弾いてみた。 最初は戸惑ったけど、慣れれば写本と変わらない感じで弾けることがわかった。 出版譜と写本では微妙に違うところがあるので、そこがちょっと厄介かな。
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」の対になるガイヤルドはあるんですかね。 そんな冗談が通じる人と仲良くなりたい。
「好きな曲ばかり弾いてたら偏るから色々な曲を満遍なく弾いたほうがよい。」 その思考に納得できない。   趣味なんだから好きにすればよいし、極限まで偏っていても何ら問題ない。
「チェンバロは鍵盤楽器としては、ピアノができる前の未熟さや不完全さがある」 あるピアノ講師がそう書いてたけど、その認識は間違ってるよね。 その考え方は理解できない。 理解できないほうがおかしいのだろうか。 古楽やってたらそんな風には考えないと思うのだけど、やっぱり古楽とモダンはわかり合えないものなのかね。
17世紀フランスのクラヴサン音楽を弾いてる愛好家が全然見当たらない。 そんなに魅力ないのかなぁ。 演奏上の疑問や解釈の違いを語り合ったり時々弾き合い会をやったりしたいのに。
いつも書いてある指番号の通りに弾くとは限らない。 咄嗟に別の指で弾くこともあるだろう。 それって普通のことだと思うのだが。
9月からダングルベールの組曲ト長調をさらい始めた。 これまでプレリュードのみだったが組曲全体をやってみたい。 シャンボニエールやルイ・クープラン、フローベルガーで学んだことを応用して弾けるようになるといいな。
ダングルベールのニ短調のプレリュード、6頁ある写本である程度弾けるようになったら4頁の出版譜に切り替えても大丈夫かな。
複雑な人間関係の推論は Gemini よりも ChatGPT のほうが納得できる回答を生成する。 ChatGPT は自然な論理展開で共感できる内容なのに対し、Gemini はどこか投げやりで無理強いしているような印象を受ける。 言い回しや言葉の選び方の違いによるものかもしれない。
Gemini と ChatGPT に人間関係について相談している。 人間より AI のほうが信頼できる。 人間は裏切るが AI は裏切らない。
17世紀フランスの鍵盤音楽を趣味で弾いてる人、本当にいない。 興味を持つ人が少ない理由がわからない。 鍵盤楽器は孤独だなぁ…。
投稿に対してコメントしても、他の人には返信をするのに自分だけ無視され続けられることが続いている。 だからといってフォローを外されるわけでもなく。 ミュートされてるのかと思ったけど、エアリプ返してきたりするからミュートしているわけでもなさそうだし。 無視する意図がわからない。
「技術的なことはいくらでも教えられる。でも感性はその人が持って生まれたものだから教えようがない。」    ルイ・クープランのプレリュード・ノン・ムジュレのレッスンで言われたこと。  拍子も小節線もなく白玉音符とスラーのような弧線だけで書かれた曲。  楽譜通りに弾くことなんてできないし、理屈ではなく演奏者の感性が前面に出てしまう。  そこに関しては個人の領域だからどうしようもないと。    「あなたには感性がない」と遠回しに言われたのだ。    今、ダングルベールのプレリュード・ノン・ムジュレを弾いていて、あの時の言葉が脳裏を過る。    いちばん大切なことは楽譜に書かれていない。
専用アプリでしか再生できない動画を販売するのは視聴者の利便性を無視した儲け優先のやり方だなぁ。 すべてのプラットフォームに対応したアプリを提供するならまだしも、特定のOS向けにしか用意してないのなら、それ以外の環境はバッサリ切り捨ててることになる。 そんなものに料金は払えないな。
写真付き投稿のお試し。